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2015年2月

県水平社再建の試み

 全国では、高松結婚差別裁判糾弾闘争への情熱がまだ燃えていたが、香川では県水平社再建が課題となった。1934(昭和9)年11月、県水平社確立準備委員会が開催され、高松差別裁判の記録にある差別字句が削除されるまで闘争を続けることが確認された。翌年2月には県水平社委員会が開かれ、この年の第13回全水大会には、県水平社の名で祝電が送られている。ただし、特別高等警察は、1938(昭和13)年まで県内の水平社はないと判断しており、これらの動きは個人的なものであったのではないかと考えられる。
 この逆風の時期に、精力的に活動したのが中村政治であった。
中村は1934(昭和9)年1月、全水中央委員に選出された。第13回全水大会では県水平社再建に動く香川の情勢を報告し、1937(昭和12)年には、高丸岸郎とともに、全水中国・四国協議会結成準備委員に選任された。また、1938(昭和13)年の第15回全水大会では県内の融和団体責任者の差別事例を報告し、差別問題の根本的解決を訴えた。さらに、1940(昭和15)年には全水拡大中央委員に選任された。
この年の第16回全水大会では挙国総動員の大和国民運動が提唱され、11月、大和報国運動発足大会(のち大和報国会と改称。天皇の下でアジアの民衆は平等になるという戦争推進の考え方)が開かれた。中村もこの大会に出席している。しかし、1942(昭和17)年1月、水平社は、「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」による団体認定の届出をせず、法的に解消した。また、同年4月、大和報国会も解散することとなった。
 ここに至り、戦前の水平社運動は全国的に終息したのである。
(写真説明・県水平社の再建活動を伝える『水平新聞』1935年3月5日)
 
【参考文献】
第51回全国人権・同和教育研究大会香川県実行委員会編『記念誌』、1999年
山下隆章「香川における高松差別裁判糺弾闘争」『しこく部落史』5、2003年
山下隆章「高松結婚差別裁判と香川県水平社」『水平社博物館研究紀要』6、2004年
山下隆章「全国水平社香川県支部連合会と融和運動」『部落解放研究』158、2004年
山下隆章「全四国水平社第二代執行委員長高丸義男」『部落解放研究』160、2004年
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