本文へ移動

2017年2月

箱廻しと「きよめ」(その1)

 今月から三回にわたって「箱廻しと『きよめ』のテーマで辻本 一英(芝原生活文化研究所代表)さんのお話を紹介します。

桃太郎伝説

 桃太郎をご存知だろうか。桃太郎の子分は一番が猿、二番が雉(きじ)、三番が犬である。猿は火を使い、雉は弓使いの名人、犬は航海術に長(た)けていた。この三匹を子分にしたのには理由があった。十二支では丑寅(うしとら)の方角、つまり北東を鬼門と呼び、この方角から鬼がやってきて不幸をもたらすと信じられていた。鬼門の反対に位置するのが申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)で、ここは邪気を払う位置にあると考えられていた。猿は「去る」、つまり災いを取り除く、弊害を取り除くことに通じると言われた。鬼退治の「鬼」とは本当の鬼のことではなく、大和朝廷に服従せずに瀬戸内海を横行した海賊などを暗示したものだ。大和朝廷に抵抗する者をやっつけ、それを美しい「勧善懲悪」の話にした。それが桃太郎伝説だった。ところで、この話の中には、日本の伝統的差別観念につながる「けがれ」あるいは「おそれ」の縮図が込められている。

自信を裏打ちするもの

 私はかつて、徳島市内の「高校生友の会」の立ち上げにかかわった。当時の部落解放運動や同和教育運動には身近な教材がなかった。
「差別に負けたらいかん」「頑張らないかん」ということが基本だった。「差別する方が間違いだ」とか「ここに生まれたことは恥ずかしいことではない」「堂々と故郷の名前が言える子になろう」などと言うものの、それを裏打ちする材料は非常に乏しかった。ここ芝原の場合、それはいったい何なのか―。こういうことから生活文化をチェックしようと、聞き取り活動をはじめた。その結果、現在では三番叟廻しやえびす廻しの伝承活動を専ら取り組むようになった。三番叟廻しはその中の中心的な取り組みで全国的な注目を集めている。

「けがれ」と「きよめ」

 差別する人たちには「理由」があった。それは観念であり、思い込みであった。親や周りの人たちが部落を見る差別的な目線に加えて子どものころに部落の子にいじめられたなどの個人的な幼児体験等を含んで「あの人は我々と違う」と思う人がいる。差別する人の観念の核は「部落の人は私たちと違う」という異観念である。では、それはどこから生まれてきたのか。
 そのルーツは平安時代にさかのぼる。公地公民制(こうちこうみんせい)が崩れ、各地の豪族が領土(荘園)を持つようになった。例えばここは東大寺の領地だった。天皇家の威信がぐらつくようになると、権威を確固たるものとして維持していくために触穢(しょくえ)、特に死の「けがれ」が強調された。身内(一親等、二親等、三親等)に血の「けがれ」が発生した場合は一カ月間、内裏(だいり)への出入りが禁止された。例えば親が亡くなってかなりの期間宮中への出入りが禁止されると、役所全体の業務がマヒする。そのために「けがれ」を払う職能者を求めるようになった。ここに部落のルーツがある。「三枚聖(さんまいひじり)」と呼ばれる人たちが墓を堀り、簡単な葬送の辞を唱えた。彼らは墓地に住んで葬送の仕事をした。「鉢叩き(ハチタタキ)」と呼ばれた人は銅の鉢をたたいて簡単なお経をあげる民間の宗教者だった。これらの人々はいずれも賎民、非人だった。江戸時代に入ると、彼らは脱賎して賎民ではなくなって夙(しゅく)と呼ばれるようになったが、「先祖鉢たたき」「先祖おんぼう」などと言われ、農民との通婚もなかった。
これを支えたのが「けがれ」をきらう忌避感、異質感であった。日常生活の中で起きるいろいろな「けがれ」を避けたいと人々は願い、1月1日の新年を迎えるときに「きよめ」を求めた。去年のいやなことを引きずりたくないので清浄性を求めて「きよめ」を必要とした。また祭りに参加するときに禊(みそぎ)といって体を清(浄)めた。正月には「伸ばせ藁(わら)」という農家にとって大切な神事がある。春神楽(はるかぐら)の「伸ばせ藁」は讃岐でもやっていた。米は初穂を意味している。ところが、それが「餅もらい」と言われた。いわゆる「物もらい」と見られたのだが、そうではない。本来は正月の神様をいざなって来る役割を果たしている神事芸能だった。しかし、だんだん世間の人々の考えが変わっていった。人形の使い手が変わったのではなく、迎える人々の側の意識が変わっていったのである。(続く)
特定非営利活動法人香川人権研究所
〒763-0092
香川県丸亀市川西町南715-1
TEL.0877-58-6868
FAX.0877-28-1011
TOPへ戻る