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2014年1月

高松結婚差別裁判

 ≪結婚の際にはすべてを打ちあけなければならず、部落出身を隠して結婚話をすすめたのは犯罪になる≫ 1933年6月、高松地方裁判所は誘拐罪を適用して弟に1年、兄に10か月の懲役刑を下した。部落の誰もが深刻に受け止め、判決撤回運動は水平社史上最大の運動になった。その結果2人は仮出獄するが判決は取り消されなかった。戦後1946年に政府は国会で謝罪した。

「解放令」に違反

 「解放令(1871年)によって皆んな平等になった。出身を告げないのがなぜ罪になるのか」、部落のノンポリの人たちも顔色が変わり騒然となった。8月に大阪で全国部落大会が開かれ、運動は全国に広がった。融和運動団体も政府に抗議した。予審で判事が「特殊部落」と差別発言し、抗議を受けて訂正した。しかし、警察も裁判所も解放令を理解していなかった。
◆予審終結決定書(4月24日)
 「特殊部落ノ出身ニシテ古屑買ノ渡世ヲ為シ先妻ト別レテ居レル実情ヲ告グルニ於テハ到底同女ノ意ヲ動カシ難キヲ慮リ、コトサラニ之ヲ秘シ・・・・自宅ニ伴イ帰ルヲ避ケ・・・・」
◆判決文(6月23日)
 「A村大字Bノ被告人居宅ニ伴イ行カントシタルモ・・・・大字Bノ出身者タルコトヲ嫌忌シ、其ノ意ニ従ワザルベキ事ヲ察シタルヨリ、寧ロ其ノ居村以外ノ地ニ居所ヲ構フルニ如カズト為シ・・・・」として結婚誘拐罪を適用した(A、Bとした・・・引用者)。

判決撤退運動への弾圧

 年末に2人は仮出獄し、関与した検事や警察幹部は左遷や退職など処分を受けた。司法省も全国の裁判所へ同和問題について通達を出した。11月25日夜、青年の地元で開かれた集会の最中、突然場内が真っ暗になって大混乱に陥った。「火鉢が投げられ警官が重傷を負った」(地元紙)として高松署は11月28日早朝、B部落の18人を逮捕、12月5日までに県内61名の水平社活動家を逮捕した。警察の取り調べは過酷を極めた。青年の地元では水平社が解散して融和団体が結成された。同様の動きが県内全域に広がり1934年2月に県水平社が消滅した。

戦後の展開と展望

 1946年に高松裁判が国会で取りあげられた。田原春次代議士の質問に「誠に申し訳ない」と政府の木村司法長官が謝罪した。だが判決は取り消されていない。
 事件から90年たつが今も破談、絶縁、離婚、身元調査など結婚差別は解決していない。一方、県内では54%が地区外の相手と結婚し、夫年令25歳以下では9割近い(平成12年度香川県同和地区実態把握調査)。1922年当時の3%(内務省「部落改善の概況」)と比較すると大きな変化が確認できる。特に、戦後は基本的人権をうたった憲法を根拠に部落解放運動をはじめ行政、学校、企業など多くの人々の取り組みがこの変化を促進した。ネット上の新たな差別事象も発生するなど、いぜんとして差別はきびしいが、運動は着実に変化をひきおこしている。今後の取り組みに展望と自信を持ちたい。(写真のステッカーは当時貼り出されたもの)
(注)文中に差別用語がありますが、事情を正しく理解していただくために用いていることをご理解ください。
 
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