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2019年11月

人権マガジン
フィールドワーク型人権研修
 香川人権研究所は体験型人権教育(研修)を重視し、毎年フィールドワーク方式の人権研修ツアーを実施している。今年は9月24~25日、京都で1泊2日の研修ツアーを実施した。障害者差別解消法が施行されて3年が経過している。そこで企業の社会的責任と障害者雇用について「オムロン京都太陽」を見学して理解を深めた。以下はその時の同社による説明の概要である。2回に分けて紹介します。
連載①   「オムロン京都太陽」
企業の社会的責任と障害者雇用
 企業には障害者を雇用しなければならない義務がある。それが法定雇用で一定規模以上の企業の法定雇用率は2.2%である。だが達成できない企業もある。例えば業種によっては必ずしも障害者を雇用できないところもある。そこで、国は障害者雇用を進めるために特例子会社と言う制度を作っている。「オムロン社」では特例子会社が九州と京都に2社ある。製造メーカーの「オムロン」と社会福祉法人「太陽の家」が共同運営して両社の「想い」を実現しているのが「オムロン太陽」である。
 「オムロン」の創業者・立石一真(たていしかずま)には、「企業は社会に役立たなければならない」という理念があった。今までになかった新しいものを社会に提供してより良い社会づくりに貢献するという考え方だった。一方、「太陽の家」を設立した中村裕(なかむらゆたか)医師は1964年に東京パラリンピックの選手団長として参加、海外選手は大会終了後パーティーに出席しているのに日本選手は競技が終わると病院に帰るしかなかったことにショックを受けた。そして、障害者が社会参加するためには働けるようにしなければならないと考えた。だがそんな職場は日本にはなかった。ないのなら自分でつくろうと考えた。自分の私財を投げ出して創設したのは素晴らしい考えだが、それは当時の日本では理解されず、全然仕事が入ってこなかった。そこで中村医師は国内の大きな企業と手を組んで安定した仕事を回してもらおうと考えたが、「障害者が働けるのか」「障害者は守ってあげるべき」「働かせるのは逆差別」などと断られた。1965年から6年間、中村医師は全国200社以上の企業に相談を持ち掛けたがうまくいかなかった。でもあきらめず説得を続けた。その時に立石氏に出会った。「企業は社会に役立たなければいけない」と考えていた立石氏は、中村医師の話に自分の思いと共通するものを感じた。立石氏は他に先駆けて新しい物を作ってより良い社会づくりに貢献する、中村医師は障害者が働ける職場がないのなら自分が作ってより良い社会づくりに貢献する、こうして二人は同じ思いで一緒に頑張ろうと誓い合い、1979年大分に「オムロン太陽」ができた。さらに、「オムロン」の本社がある京都に「オムロン京都太陽」ができた。
障害者別雇用状況
オムロン京都太陽
1 身 体  67.9%
2 知 的  25.0%
3 精 神    7.1%
 
 「オムロン京都太陽」では180人が働いているが、そのうち124人(約80%)が障害者である。そこで製造されるのはソケットやセンサー、タイマーなど一般になじみの薄い商品であるが様々な機械に組み込まれて使われている。ここでは大きな機械を使って同じ商品を大量生産するのではなく、多品種の商品を少量ずつ作るので人の手で一つずつ作ることになる。これを障害者が担当しており、障害者が作業しやすいように様々な工夫が凝らされている。例えば交代制勤務についている知的障害者に対して、定期的に薬を飲まなければならない人には飲み忘れないように周囲の人が声を掛けるなど、周りがサポートして安心して働けるようにしている。だが「オムロン」は製造メーカーなのでたくさんの障害者をフォローしきれない。他方、「太陽の家」は障害者福祉施設なので障害者の健康面や生活面のサポートが専門である。つまり、「オムロン」が製造部門で、「太陽の家」は健康部門でそれぞれ互いに得意な分野で協力している。障害があっても製造できるようにしてから「太陽の家」に製造を担当してもらう。「太陽の家」は障害者の生活環境を整えて障害者が安心して働けるようにする。

人権研修ツアー参加者

特定非営利活動法人香川人権研究所
〒763-0092
香川県丸亀市川西町南715-1
TEL.0877-58-6868
FAX.0877-28-1011
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