2019年8月
人権マガジン
「江戸時代に・・・」は誤解
教科書記述が変化
「ある発言」が話題に
男性元テレビアナウンサーの発言がテレビや新聞で話題になりました。同和地区住民への誤解を助長するとの抗議が高まり、本人は謝罪し発言を撤回しました。「同和の人は怖い」という誤解はこの男性だけでしょうか。
「きよめ役」
「徳川幕府が身分制度を作って部落差別が始まった」と長く説明されてきました(近世政治起源説)。しかし、民俗学研究などの影響を反映した1990年代の「部落史の見直し」論争の結果、「きよめ役」と説明されるようになり、学校の教科書記述も変わりました。小学校の教科書では、室町時代に河原者(かわらもの)と呼ばれて身分上差別された庭師たちが銀閣寺の庭園づくりなどに活躍したと書いています。江戸時代以前に身分上の差別があったと紹介しています。中学校の教科書では「けがれときよめ」の説明が出ています。平安時代以降、人々は死や生命の誕生、火事や地震・天変地異など、人知の及ばない日常と全く異なる不可思議な出来事を「けがれ」とおののき、人々は「けがれ」を避けようとして「きよめ」(日常生活の再生)を求めました。「きよめ」役に対しては敬意を払い、特別な態度をとるようになりました。
ところが江戸時代に「きよめ役」に対する人々の意識が逆転します。金刀比羅宮神事を記述した18世紀後半の書物『生駒記』に逆転が記述されています。十月大祭(頭人祭)では従来から「えた」身分の人が頭人の用いる草鞋(わらじ)と弓掛(ゆかけ・・・牛皮製の手袋で弓を射るときに用いる)を奉納し、食べ物(餅)も同じ火で蒸して食べました。「きよめ役」は丁重に扱われてきました。ところが『生駒記』の筆者はこの振る舞いを「有難し」(ありえない)と書いているのです。古くからの「きよめ役」に対する畏敬の念が薄れ、意識が逆転していることがわかります。(参考 琴平町『町史ことひら3』、香川県人権・同和教育研究協議会『香川の部落史』)
同和問題 他にもこんな誤解が
①自然解消論・・・「そっとしておけばそのうちに」「寝た子を起こすな」などの誤解。部落差別は自然現象でなく人間による社会問題なので一人一人が自覚すれば変わる。
②部落分散論・・・「固まって住むから」「他所へ行けば…」などの誤解。「いじめられるのが嫌なら転校すれば」というのと同じで、問題解決でなく逃避を意味する。
③部落責任論・・・「こわいから」「問題行動を起こすから」など、部落差別の原因を地区住民のせいにする誤解。問題行動を起こす人はどこにでもいるので、個人と全体を一緒にするのは間違い。差別を正当化する詭弁。