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2018年7月

人権マガジン

香川人権紀行 善通寺市

外国人俘虜の墓と収容所  人と人の温かい心

 善通寺市生野町に旧陸軍の墓地があります。ここには太平洋戦争中、善通寺俘虜収容所で亡くなった米、英、豪の軍人10名の墓があります。それは戦後、市民が建立したもので「米英壕軍人之墓」と刻まれています(写真)。
 太平洋戦争開戦の翌1942(昭和17)年、国内初の俘虜収容所が善通寺に開設されました。同年1月15日、第一陣としてグアム島で捕虜になった米・英の軍人422名が多度津に上陸し、その日の夜ここに入所しました。
 入所者の中には、赤ちゃんを抱いた若い母親ルビー・ヘルマーさんがいました。彼女は俘虜になった夫と一緒に親子三人で日本へ送られました。輸送船の中では、生後三か月の女児チャーリンちゃんに日本軍兵士が温かいミルクを与え、親切にいたわったそうです。収容所に到着すると、所長の計らいで母子に大見家旅館の一室が与えられました。暖かいグアム島から遠く離れた冬の日本へ、そして赤ちゃんを連れた母子への配慮だったのでしょうか。宿屋の主人も寒さを気遣ってルビーさんにドテラを着せ、赤ちゃんのために子ども用布団の中に炬燵を入れたそうです。赤ちゃんは赤い着物に包まれてスヤスヤと眠り、時々眼を開いては母親の顔をじっと見つめていたと言います。彼女が一番好きだという林檎を女中さんが持っていくと「おうアップル」と感激して一口ずつかみしめて食べたと言われています。女将さんも女中さんもいろいろ気配りしましたが言葉が通じず、身振り手振りで意思疎通を図ったそうです。当時の新聞は「情が通じるというものか、早くも和やかな風景を描き母親は温かい情に厚い感謝の心をささげている」と報道しました(朝日新聞 昭和17年1月18日香川版)。
 太平洋戦争が始まって間もなく、「戦意高揚」の中で書かれたことを考慮しても、小さな子どもや女性に対する温かい心が民衆の中で通い合う場面があったのです。
 収容所は二階建ての建物二棟の他にパン工場や養豚場もありました。場所は護国神社南隣で、現在は西中学校が建っています。
【メモ】墓は県道47号線の西側「陸軍墓地」入ってすぐ左にあります。
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