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2017年8月

人権ダイアリー

人権ダイアリー 8月11日 同和対策審議会答申が出る(1965 年)

同和対策審議会(同対審)は政府のとるべき同和対策を総理大臣に答申、「近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは、
職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住および移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民にたいしては完全に保障されていないことが差別なのである。」とし、同和問題は「人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題で、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる問題である」とした。「同和問題の解決は国の責務であり、
同時に国民的課題である。同和行政は国の責任で行い、部落差別が存在する限り積極的に推進する」の文言は有名。部落差別の解決では「就職と教育の機会均等を完全に保障し、生活の安定と向上を
はかる」ことを重視し、「同和対策は生活環境の改善、社会福祉の充実、産業職業の安定、教育文化の向上、基本的人権の擁護を内容とする総合対策でなければならない」とした。答申を具体化す
るために1969 年に同和対策事業特別措置法が制定され、同和対策事業が始まった。

8月17日 男女が結婚差別で自殺(1972 年)

結婚に反対された徳島の男女(ともに19 歳)が香川県内で自殺した。男性は旧国鉄詫間駅前の通称「弁天さん」の松の木に首を吊り、女性は旧国鉄海岸寺駅構内の線路上で列車に轢断された。
女性の遺書には「私の出身が悪いと反対された」と書かれていた。徳島では大きな社会問題となり葬儀に県知事が参列、NHK徳島放送局は特別番組「同和問題解決への道・ある心中事件の教訓」を製作して放送した。二人の地元では事件を契機に同和教育の取り組みが強化された。写真中央の森が「弁天さん」
(写真提供・旧詫間町役場)

8月26日 フランス「人権宣言」(1789 年)

市民は生まれながら自由で平等であることが宣言され、権力者は国民が作った憲法に基づいて国
民の人権を尊重した政治を行うことになった。これを立憲主義と呼ぶ。選挙で選ばれた代表(議会)
によって憲法を作る制度(民主主義)が取り入れられ、参政権が新しい人権となった。

8月27日 部落解放同盟に名称変更(1955 年)

部落解放全国委員会は第10 回定期大会で「部落解放同盟」と名前を変えた。委員会というと少数の選ばれた人たちによる前衛的な組織のイメージが強かったため、と「解放新聞」(1955年9 月25 日)は説明している。

8月28日 明治政府、太政官布告を出す(1871 年)

明治政府は太政官布告(「解放令」とも呼ぶ)を出して賤民制度を廃止した。

8月30日 部落解放同盟香川県連合会を結成(1957 年)

現在高松ワシントンホテルがある場所には、かつて高松市公民館(写真=旧高松文化会館)があった。ここで部落解放同盟香川県連合会の結成大会が開かれ、県内47 部落から70 人が参加した。参加者は結婚差別や就職差別、消防団での差別、公営住宅に入居できない問題などを訴えた。こうして戦後の解放運動が組織的にスタートした。
写真提供は高松市図書館。

8月の活動(主なもの)

1日
高松市立勝賀中学校ブロック教職員研修会/高松市立屋島中学校教職員研修会
2日
高松市立下笠井中学校ブロック教職員研修会/丸亀市教頭会研修会
3日
高松市立紫雲中学校ブロック教職員研修会/新居浜市内高校生「人権教室」
7日
研究所事務局会議
8日
美馬市立貞光中学校教職員研修会(徳島県)
10日
四国部落史研究協議会(愛媛県)
11日
四国部落史研究協議会(愛媛県)
17日
高松市立玉藻中学校ブロック教職員研修会/三豊市職員研修会
18日
三豊市職員研修会/三豊市職員研修会
19日
部落差別解消推進法研究会
21日
県立香川東部養護学校教職員研修会/高松市立牟礼中学校教職員研修会
22日
三豊市職員研修会/ホームページ打合せ
23日
高松市立香東中学校教職員研修会/香川県農政課職員研修会
24日
善通寺市立与北小学校教職員研修会
25日
丸亀市立綾歌3小学校教職員合同研修会/県立高松北高校生「人権教室」/
丸亀市立郡家小学校教職員展示室見学
27日
展示室の解説・説明会
28日
県立多度津高校生「人権教室」/倉敷市打合せ
29日
美馬市立岩倉中学校教職員研修会(徳島県)
30日
三豊市(網の目)
31日
善通寺市(網の目)/香川県健康福祉総務課職員研修会
特定非営利活動法人香川人権研究所
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