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連載 香川県水平社の歴史

高松結婚差別裁判




 朝倉の弁論は次第に過激になったため、会場にいた警察官は「演説中止」を命じた。しかし、聴衆は納得せず騒ぎ出したために、さらに「解散」を命じた。火鉢の灰が飛び、突然電灯が消えた。そして、誰かが投げつけた下駄が警察官に当たり、全治1週間のケガを負った。
 軽傷ではあったが、高松警察署はこれを重大な事件として、容疑者の逮捕を決定した。28日午前4時、警察官60名が集合して、トラック2台に分乗した。サイドカーに先導させて鷺田村に到着し、眠りも覚めやらぬ6時から7時半までの間に18名を逮捕した。また、警察官30名を残して万一に備えるというものものしい逮捕劇であった。その後も逮捕は続き、傷害罪、公務執行妨害罪、治安警察法違反容疑で61名が逮捕された。朝倉も演説会のため移動していた大川郡で逮捕された。
 留置中の待遇はきびしかった。闘争の中心的人物は高松警察署以外に移され、取り調べを受けた。他の多くは高松警察署の武道場で正座させられ、取り調べを待った。私語は禁止、少しでも動くと竹刀で容赦なくうちのめされた、とのことである。
 61名中起訴されたのは5名だけに留まったものの、寝込みを襲われ、警察できびしい扱いを受けたことは部落住民に大きな衝撃を与えた。12月6日、支部は水平社脱退を表明して解散し、10日、部落内の融和運動関係者を中心に、融和団体の黎明会が発会した。発会式には、水平社運動から融和運動に転向した6名が出席し、はげしい活動をしたことへの反省の弁を語った。高松地方裁判所は、「この事件は、家庭環境、当時の状況から同情すべきものがあり、また、被告だけでなく部落全体が『善き道に』転向した」と評価して、5人に執行猶予付の判決を下した。


運動方針で対立




 大逮捕劇のもととなったこの報告演説会開催に、鷺田村のもう一つの支部は協力しなかった。また、この支部の参加者からは、「闘争が『取締官憲』に対する抗争となり、真の闘争目的を見失ったため何等の効果ももたらさない。これまでの闘争を反省し自覚すべきである」との発言もあった。さらに、脱退直前の12月4日には、日本水平社の南が来訪して部落内の融和運動関係者と密談している。当事者2人の仮釈放、白水検事の転任など、現地では当初の目的をほぼ達成したとして、事態を収めたい空気が広がりつつあったのだろう。
 全水本部は実情把握のため米田を派遣したが、警察署から厳重注意を受けて帰阪した。以降、全水本部の関与もなくなった。
 1934(昭和9)年1月15日、各警察署の特別高等警察主任会議で、差別発言への積極的指導と、水平社の糾弾闘争への徹底取り締まりが指示された。これを境にして、わずか半年ほどの間に支部は相次いで脱退、解散し、融和団体を設立していった。「警察署から形だけ脱退したようにしてほしいと頼まれた」との証言もあるが、圧力が相当なものであったことは想像にかたくない。
 県水平社は、わずか10年で、その歴史に幕を閉じることとなったのである。
(つづく)

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