TOPページ
研究所だより
人権マガジン
香川人権研究所概要・組織
事業内容
行事予定
書籍(新刊図書ご案内)
会員募集
リンク
香川の人権ニュース
センターご案内
ちいさな人権博物館
人権マップ

人権マガジン

バックナンバーはこちら >>


 香川県水平社が創立されたのは1924年7月11日です。創立90周年企画として「香川県水平社の歴史」を連載します。「解放令」(1871年)は出たものの部落差別がまかり通っていた時代に、部落差別への抗議の声を挙げた当時の人々の苦労は計り知れないものがありました。県水平社の苦難の道のりを紹介します。
 「連載 香川県水平社の歴史」は山下隆章氏によってまとめられ、部落解放同盟香川県連合会結成50周年記念出版『自立・解放への道(軌跡)』(2007年)に収録されたものです。

連載 香川県水平社の歴史@
創立 人間に光あれ

観音寺町公会堂 「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」
 三豊郡観音寺町公会堂に集まった250名あまりを前にして響く高丸大造の声。1924(大正13)年7月11日午後1時、香川県水平社(以下「県水平社」)創立大会は、綱領と水平社宣言の発表からはじまった。引き続き、「部落差別に対する徹底糾弾」、「水平運動の趣旨徹底のため宣伝隊の組織」、「水平新聞の購読」を満場一致で決議。全国水平社(以下「全水」)の泉野利喜蔵や米田富らの熱弁に拍手喝采の渦のなか、午後5時、「水平社万歳」を唱和して閉会した。ここに県水平社が誕生したのである。
 全四国水平社(以下「四水」)設立をめざす松浪彦四郎をはじめとする愛媛県水平社の強いすすめと指導により、四国では愛媛、高知に続いての県水平社設立であった。この大会には愛媛から徳永参次、矢野儀三郎、亀井清一らも参加しており、県水平社設立のわずか2ヶ月後の9月20日には、愛媛県水平社の目的どおり松山市三番町寿座で第1回四水大会が開催された。
 県水平社事務所は、観音寺町に置かれた。そして、県水平社と同時に設立された観音寺支部をはじめとして、県内48部落中、13の支部(うち2つは郡支部)が、2年足らずの間に設立されていった。
銭湯が入浴を拒否
 他の府県と同じように、県内でも部落差別はきびしかった。差別的な言動によって侮辱され、軽蔑された。買い物に行くと柄杓でお金を受け取られ、銭湯では入湯を断られたあげく、これに抗議すると終い湯のみ認めるという差別的な解決策がはかられたところもあった。学校では、部落児童は分教場や別の教室に分けられ、教員が授業することをいやがったところもあった。木田郡のある部落では、通学すべき小学校への入学を拒否され、遠くの学校へ通学させられただけでなく、湯のみを別に使わされたこともあった。
 香川郡鷺田村の尋常小学校では、部落児童は、低学年だけ別の学級で学ぶこととなっており、その学級は2人の部落出身の教員が担任をしていた。1915(大正4)年7月、若林賚蔵知事が部落住民の訴えによりその事実を知り、一緒に学ばせるよう村長に指示した。部落住民は提灯を立てて喜んだ。村は9月から改めたが、多数の部落外児童が欠席、転校するという「鷺田村小学校事件」が起こり、3ヶ月の長期にわたって教育活動が混乱した。部落出身の教員が担任になることを保護者が拒んだからである。そして、2人の教員は辞職を余儀なくされた。また、観音寺町の部落も、駅舎に通じる道路建設のために集落全体で移転したところであったが、その移転先をめぐってきびしい差別に見舞われていた。
 これら部落差別の問題は、日清・日露戦争による増税などのため経済的に苦しくなった農村部を立て直すための社会改良運動が推し進められることで、社会問題として浮かび上がっていった。県内各地で部落改善団体が設立され、公衆浴場や共同便所、公会堂の建設、道路や橋の改修、麦棹真田(麦ワラを編んだヒモ)や塩叺(しおかます・ムシロを二つ折りにして作った塩を入れる袋)といった副業の指導などが部落改善事業として行われた。しかし、根本的な解決には至らなかった。

ページ上へ




香川人権研究所map