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安井コノ 保井コノ(1880〜1971・写真)は香川県三本松(現東かがわ市)に生まれ、日本初の女性博士となった。当時、「女のくせに」と言われながら学問の道を進んだコノは、いたるところでいじめや差別を受けた。しかし困難を乗りこえ、1927年に東大から理学博士号を授与され、「決して女性は男性に劣るものではない」ことを自ら証明した。これがきっかけとなり、その後10年間に20人の女性博士が誕生するなど、女性の能力発揮に新たな道が開かれた。

「科学に向かない」との偏見
コノ愛用の顕微鏡 コノは三本松尋常小学校、白鳥高等小学校、香川県立尋常師範学校女子部(現香川大学教育学部)から女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)理科へ進んだ。当時の学校制度では男子は大学まで進学できたが女子は高等女学校まで、例外は女子師範学校だった。
英語論文『さんしょうもの生活史』が1911年にイギリスの植物学雑誌に発表されると国際的な注目を集め、ドイツのストラスブルガー教授から留学をすすめられた。コノは文部省に国費留学の申請をしたが「女子は科学に向かない。帰国後も結婚して家庭生活に入るなら税金の無駄づかい」と拒否された。留学目的に「理科および家事研究のため」と加え、ようやく翌年に許可された。「結婚せずに生涯研究を続けると約束してようやく国費留学が実現した」と証言する教え子もいる。(右写真・コノ愛用の顕微鏡)

女性研究者の育成に尽力
コノが描いた石炭  第一次世界大戦の影響でドイツを避けアメリカへ留学、そこで石炭研究に磨きをかけた。帰国後は北海道から九州、さらに中国撫順まで当時の国内のあらゆる炭鉱へ調査に出かけ、従来の「微生物による石炭成因説」に代わる新見解(「水成堆積物説」)を発表した。あらゆる石炭で植物細胞を確認したコノは、石炭の正体は植物だと見抜いた。それを証明するために各国の植物図鑑を精査し、すでに絶滅した古代植物には「ヤスイ」の名を冠した。このような石炭研究に結実した多年にわたる植物学研究の功績が認められ、日本初の女性博士となった。戦後は国立女子大学設置運動に取り組むなど、女性研究者の育成につとめた。
コノは1955年に紫綬褒章を受けたが文化勲章は受けていない。遺伝学者の木原均博士がコノを文化勲章候補に推薦したが「女性科学者の受賞は前例がない」とされた。(左写真・コノが描いた石炭)
男女ともに能力を発揮できれば、社会はもっとよくなる。
詳細は『保井コノ 日本初の女性博士』(香川人権研究所)をご覧ください。(写真提供=お茶の水女子大学ジェンダー研究センター)


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